医療を取り囲む、新たな価値をもたらす空間

ウェルネス |

医療環境は、医師・看護師の不足、人口減少や少子高齢化の急速な進展に伴う医療需要の変化、医療の高度化など、多くの課題に直面しています。公立病院では経営強化に向けた改革が全国的に進められています。今回は、医療を取り囲む、新たな価値をもたらす空間に着目しました。ホスピタリティ、イノベーションという視点で、患者さんとその家族、そして医療関係者を支える空間の事例をご紹介します。

※このレポートは2023年3月に執筆されたものです。
※レポート内のリンクは執筆時に確認した外部Webサイトのリンク、画像はイメージ画像になります。

難病に苦しむこどもたちと家族を癒し、地域とつなぐ、開かれたホスピス

TSURUMI こどもホスピス / 日本・大阪

こどもホスピスとは

1982年、イギリス。ある教会のシスターが、知り合いから重い病気を抱えたヘレンという2歳の女の子を預かったことから、世界で最初の小児ホスピス「ヘレン・ハウ」が始まりました。「ヘレン・ハウス」は、こどもにとってはケアを受けながら、こどもらしい自由なひとときを過ごせる場所として、家族にとっては、医療ケアの負担から解放された穏やかな休息の時間を持てる場所として、その後、世界の小児ホスピスのモデルとなりました。

TSURUMI こどもホスピスは、この「ヘレン・ハウス」の理念に共感した医療関係者などにより、2016年、大阪の鶴見に誕生しました。

一人のための、みんなのための癒しの空間

TSURUMI こどもホスピスは、小児がんをはじめとする生命を脅かす病気(Life-threatening condition)の18歳以下のこどもを対象としています。病気を深く理解する看護師などのスタッフが主治医と連携し、一人ひとりに寄り添うケア態勢が整えられています。こども本人だけでなく、その家族もケアの対象として考えられており、一人の時間、家族の時間、誰かと分かち合う時間、誰かの優しさに触れる時間などを大切にする姿勢が明確に示され、実現されています。

その姿勢を反映した施設は、立地する鶴見緑地の環境を活かした、オープンで居心地の良い空間となっています。「みんなの中庭」と名づけられた芝生広場には小さな畑があり、水遊びやピクニック気分でお弁当を食べることができます。走り回って遊べる「大きな部屋」、おもちゃやゲーム、様々なホビーを楽しめる「どんぐりの部屋」「おもちゃの部屋」、少人数での対話のための「小さな部屋」、家族が様々なニーズに合わせて宿泊できる「お庭の部屋」「あさひ / ゆうひ / 原っぱの部屋」、家族で入れる大きなお風呂「富士山の部屋」などの各部屋は、開放的でありながらプライベートを尊重したデザイン。中庭を取り囲むように、緩やかに区切られ・つながり、まるで一つの大きな家のようになっています。

地域と、社会と、つながることによるケア

TSURUMI こどもホスピスのユニークなところは、こどもとその家族だけでなく、地域にも開かれているところでしょう。こどもホスピスの建物や屋外の原っぱを含めた土地全体は「あそび創造広場」と称され、建物と中庭以外のエリアを市民に開放しています。火器の使用などは禁じられているものの、飲食は自由です。中庭に面した「つるみカフェ」も、地域の人々は利用できます。

広場では、これまで、日本で最も多くのパンダがいる和歌山県のアドベンチャーワールドとの共同企画による、動物や飼育員との交流イベント、キッチンカーや大道芸人が登場するマルシェ、「こども」「子育て」「寄付教育」などをテーマとする地域と連携したプログラムの展開されています。

命にかかわる病気は、こどもとそのケアを行う家族から、社会とのつながりを奪ってしまいます。医療ケアは病気だけではなく、それがもたらす孤独に対しても行われる必要があります。「癒し」とはなんだろう、ということを考えさせられる事例です。

TSURUMI こどもホスピス / 大阪 / オープン 2016年 / 10床 延床面積979㎡

1000人のこどもとのアートプロジェクトによるこどものための医療環境デザイン

福岡市立こども病院 / 日本・福岡

こどもたちが主役となった病院のデザイン

病気に対する不安や恐れなど、医療にはどうしてもネガティブな気持ちがつきまとうものです。それに対して、福岡市立こども病院は、こどもたちを主役とするアートプロジェクトを通して、こどものための医療環境をデザインしました。福岡市立こども病院は、1980年に福岡市立こども病院・感染症センターとして中央区唐人町に開院、2014年に現在地(東区)に移転しました。

そのリニューアルに合わせ、環境デザインへの取り組みが行われました。島津環境グラフィックスのディレクションの下、1,000人のこどもたちによるアートプロジェクトが展開されました。

世界ではめずらしくない?わくわくする病院

プロジェクトは、病院に隣接する小学校、中学校の在校生にデザインやアートワークで用いるパーツを切り絵などでつくってもらい、それをデザインリソースとして使う形で展開されました。「成長の森」というストーリーで、学年ごとにテーマを変え、成長していく森が病院の中につくられています。病院側からの「かわいらしくしなくてよい」との意向をふまえ、ブラウンや青、イエローなど、シックかつ温かみのあるカラーリングで木や生き物たちなどが待合室や廊下、診療のためのスペースに描かれています。

患者さんや家族の気持ちに寄り添う医療空間デザインは、兵庫県立こども病院四国こどもとおとなの医療センターなど、全国でも見られます。

海外では、こどものために考えられ、デザインされた病院は数多くありますが、アメリカで2000年に設立された非営利団体アール・エックス・アート(RxART)が、こどもと医療従事者を癒すために20年以上に渡って展開する「こども病院アートプロジェクト」の存在感は大きいでしょう。村上隆がPET-CTスキャナにカラフルなデイジーを描いたワシントンDCの小児国立医療センター、キース・へリングの絵が壁一面に広がるニューヨーク市ヘルス+ホスピタルズなどを見ると、病院とアートがハッピーな関係性にあることをあらためて感じます。

デザインには医療をサポートする力がある

筆者も、幼少の頃、何度か入院したことがありますが、治療に対する恐怖、家族と離される不安など、病院は怖い場所という印象が強く残っています。待合室や病室が、明るく楽しい、わくわくするような場であれば、こどもの気持ちはどれほど変化するでしょう。それは家族の負担もかなり減らすことにつながるかもしれません。デザインには医者や看護師による医療をサポートする力があるのではないでしょうか。

病気とたたかう患者さんとその家族を励まし、気分を明るくさせてくれる医療環境のデザイン。医療従事者を支える重要なファクターといえるのではないでしょうか?

福岡市立こども病院 / 福岡 / 1980年に福岡市立こども病院・感染症センターとして開院、2014年に現在地に移転 / 239床 延床面積 28,411㎡

大学病院に併設される、クリエイティブな法人向けコワーキングスペース

新潟大学医歯学総合病院 コワーキングスペース「I-DeA」 / 日本・新潟

プロのための会員制コワーキングスペース

見慣れたビジネスインフラとなりつつあるコワーキングスペース。病院に併設されるコワーキングスペースをご存じでしょうか?

それは2021年12月に誕生した、新潟大学医歯学総合病院のコワーキングスペース「I-DeA(アイデア)」です。ユニークなのは、患者さんの家族や見舞い客のためのスペースではなく、新潟大学の教職員をはじめ、医師や看護師などの医療関係者、関連業界・業種の企業、自治体関係者などが交流するための場であるということです。

新たなコミュニケーションにより、これまでにない価値を創造することをめざしています。いわゆる産官学連携により生まれた様々なプロジェクトを、社会で実際に展開するためのモデルをつくることをめざしてつくられた、プロフェッショナルのための会員制コワーキングスペースなのです。

延床面積は約250㎡で、事業費は約3億円。新潟大学の単独事業で、旧歯学部付属病院跡地に建てられた「ライフイノベーションハブ」の2階部分が使われています。

社会実装化のための多様性のある事業展開

「I-DeA」とは、Innovation Design Atelier の略です。新潟大学医歯学総合病院が運営する、「異なる知を持つ人々を有機的につなげる法人向けコワーキングスペース」とされています。

開館時間は午前6時から午後10時まで。仕事の前に、終わった後に、十分な活動が展開できる設定がなされています。会員は2種あり、法人会員Ⅰは中小企業者及びそれ以上の規模の企業、法人会員Ⅱは上記Ⅰ以外の法人です。現在の料金設定としては、トライアルプランと標準プランは3カ月、ほか年間契約もあり、月額で見ると9,240円から41,250円まで様々です。

オンラインとオフラインを組み合わせた多様なセミナーや研修会などのイベント、病院の研究開発支援組織による研究開発・技術コンサルティングサービスが提供されています。とてもユニークなのは、創造的な対話を促進するコミュニティマネージャーが配置されているところでしょう。マネージャーは、「I-DeA」で生まれた共同のプロジェクトの伴走と外部への発信も行うとされています。こういったつなぎ役は、実装化、無から有を生み出すときに、成否を分ける存在になるでしょう。

まるでカフェかホテルのラウンジ。居心地のよい交流空間

医療関係者のためにプロフェッショナルな場と考えると、堅い印象を持つかもしれませんが、「I-DeA」の空間は、落ち着いた色合いを基調とした居心地の良いカフェかホテルのラウンジをイメージさせます。普段は腰掛けて作業を行うベンチとしても使える小ぶりなステージとテーブル・椅子のある「交流」エリアと、リラックスしながらおこもりできる個別ブースの「集中」エリアで大きくゾーニングされ、二つのエリアをつなぐスペースには、様々な形状のソファやテーブルが置かれ、ゆったりとくつろぎながら対話や交流を楽しめるようになっています。またセミナーやミーティングを行えるスペース、プロジェクト・マネジメントオフィスもあります。

ほか、サービスとしては、Wi-Fiはもちろん、複合機やWEBカメラ内蔵モニター、オフィスコンビニ、フリードリンクと充実の内容で、今後の様々なクリエイション、イノベーションを期待させる知的創造拠点です。

大学が有する知的財産と企業などとの融合から、医療を支える新たなイノベーションを生み出しています。全国に広がってほしい、新しい価値のある拠点ではないでしょうか。

● 新潟大学医歯学総合病院 コワーキングスペース「I-DeA」/ 新潟 / コワーキングスペース開設 2021年 / 延床面積 約250㎡

Researcherʼs Comment

今回は医療を取り囲む、新たな価値を生み出す空間として、ホスピタリティ、イノベーションといった視点から事例をご紹介しました。医療の現場では、医師や看護師をはじめ多くのプロフェッショナルが日々難しい仕事に取り組んでいます。患者さんやご家族の心に寄り添うデザインや空間、新たなイノベーションを生み出す空間は、医療現場の周辺にあるものかもしれませんが、たくさんの人を支える力を持っているように思います。

医療に関する多くの課題の中でも、特に重要なものは少子高齢化への対策でしょう。つまり医療に従事する人材が将来的には減少していき、少ない人材で多くの患者さんを支えなくてはならない構造が、ほぼ不可避のものとして迫ってきているのです。治療法や薬剤、医療機器などの進化とあわせ、デザインや新しいコミュニケーションを生み出す空間も、医療に貢献することができると思うと、間接的に医療を支える人材や業界は広がっていくのではないでしょうか。(丹青研究所 国際文化観光研究室)

この記事を書いた人

丹青研究所

丹青研究所は、日本唯一の文化空間の専門シンクタンクです。文化財の保存・活用に関わるコンサルや設計のリーディングカンパニーであるとともに、近年は文化観光について国内外の情報収集、研究を推進しています。多様な視点から社会交流空間を読み解き、より多くの人々に愛され、求められる空間づくりのサポートをさせていただいております。 丹青研究所の紹介サイトはこちら

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