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医療現場の環境改善、世界の取り組みの最新事例
ウェルネス |
医療現場の人手不足や医師の地域偏在は、世界共通の課題となっています。現場の人間の疲労やストレスを軽減し職場へのエンゲージメントを高めること、ここでなら働きたいと思えるような快適な仕事環境を整えることは、課題解決に取り組むための基本的なアクションといえるでしょう。本レポートでは、医療従事者のためのサービスや空間づくりで注目を集める近年の海外事例を紹介します。
※このレポートは2024年12月に執筆されたものです。
※レポート内のリンクは執筆時に確認した外部Webサイトのリンク、画像はイメージ画像になります。
目次
病院スタッフのためにつくられたセルフケア空間
ボストン小児病院 / アメリカ |
医療従事者の心と体を癒す、秘密のウェルネス&休憩スペース
アメリカ、ボストンにあるボストン小児病院は、米ハーバード大学の関連病院で、世界最大級の小児科研究機関です。2022年10月、この病院で働く全スタッフのためのウェルネス&休息スペース「シークレット・ガーデン」を院内の一角に整備しました。

米国における看護師不足・離職者増の問題を背景としたもので、疲労やストレスを抱え、セルフケアを必要としながらも自分のための時間と場所を確保できない医療従事者のための空間となっています。
「シークレット・ガーデン」は年中無休、24時間オープン。設置場所はメインキャンパスの1階で、屋外庭園「ウィッシング・ストーンガーデン」を見渡せる戦略的ロケーションとなっています。利用者は、ヒーリング音楽が流れる静かな環境の中で、個人でのアクティビティ(ヨガ、日記、曼荼羅の塗り絵、呼吸法、グリーフケア、文献閲覧など)を行ったり、専門の施術者・講師による団体セッション(サウンドバス、グループヨガ、レイキサークル、ガイド付き瞑想など)に参加したりと、自由に過ごすことができます。マッサージ機能付きのラウンジチェアの前には大型スクリーンがあり、自然の風景が映し出されます。
スペースの目的や基本ルールは案内パネルに明記するほか、病院側が提供している他のサポート組織・プログラム(人事部、臨床医支援室、バーチャルフィットネスプログラムなど)とスタッフをつなぐ掲示版が設けられています。こうした取り組みへの賛同者が少なくないことから、団体セッションにボランティアとして協力できる「アソシエイト職員」制度も試験的に導入しました。
効果の定量的分析と前向きなフィードバック
このプロジェクトは、同院関係者によるEBP(エビデンスに基づく実践プログラム)として行われています。効果を立証する手段のひとつは、ドアの開閉システムに使われている職員バッジのスキャンデータ。そのカウント数により利用状況をモニタリングしており、導入後、最初の1ヶ月の利用件数は454件でした。1年間で利用率が350%増加し、データのある直近3ヶ月(2024年1〜3月)のひと月あたりの利用件数は1,710〜1,979件。2人組やグループで入室するパターンが多いため、実際の利用者数はこれ以上とされています。
利用したスタッフの反応は良好で、リセットと再充電の時間を取り、前向きなメンタルヘルスの習慣を育むことがストレスの軽減に役立っているといいます。任意回答のアンケート調査によれば、このスペースの効果は顕著であり、リッカート尺度(アンケートなどで使われる分析手法のひとつで、5〜7段階の尺度を使って回答者が質問にどの程度同意しているのかを測る)でみるストレスレベルは平均2ポイント減。自由記述欄にはポジティブな感想や要望が書かれているそうです。
業界紙への投稿記事に掲載された画像を除いて、内部の様子は非公開。上述の成果は国内外で紹介されており、米国精神科看護師協会全国会議の研究賞も受賞しています。
● Boston Children’s Hospital / アメリカ(ボストン)/ オープン年1869年開設、施策の導入は2022年 / 病床数466床
自然の要素を取り入れた、快適で協同的な職場環境
バージニア大学アイビーロード整形外科センター / アメリカ |
ケアチームのウェルビーイング向上を図るワークステーション
バージニア大学アイビーロード整形外科センターは、整形外科領域の治療、理学療法、リハビリケアを1ヶ所に集約させたアメリカ最大級の外来センターです。専門的かつ包括的な医療を提供する施設であることから、院内全体が、患者の体験とスタッフの体験、各科・各エリアへのアクセスのしやすさ、柔軟性・効率性を重視したデザインとなっています。ホスピタリティの精神に着想を得たという内装や緑豊かな敷地のほか、建物の外周に沿って配置されたスタッフ用のワークステーションに特色があります。
このワークステーションは、いわゆるナースステーションの機能をもたせつつ、ミーティングやスタッフ同士のコミュニケーションなどケアチーム内のつながりと協同をサポートするように設計されています。タッチダウンスペース(一時的な作業場所)として集中しやすい環境があり、診察室へもスムーズにアクセス可能。

大きな窓から差し込む自然光や窓の外の風景、木材や石材を多用した自然を感じさせるインテリアには、気分や生産性を含めた全体的なウェルビーイングを向上させる狙いがあるそうです。
デザインソリューションによる環境改善
このような空間デザインを採用した背景には、最初の事例と同様、医療現場における人材不足の問題があります。人材不足の要因のひとつは離職ですが、アメリカでは、とくに看護師たちの間で燃え尽き症候群が蔓延し、それがコロナ禍で悪化しているということが指摘されています。あるデザイン会社が北米の医療業界について分析した記事によると、当時の調査で対象となった看護師の34%が退職したいと回答、その44%がストレスや燃え尽き症候群が理由として挙げています。
病院関係者としても患者の満足度とスタッフの幸福度の相関は理解しているものの、ケアチームのためのスペースに割ける予算が少ないのが実情。だからこそ、デザインの重要性は大きくなっているといいます。現在の医療業界のトレンドは看護ステーションやサブステーションの分散化ですが、その結果として孤立感も生まれています。本事例のように、立地とデザイン性に優れたワークステーションは、看護師の孤立感を解消するのに役立ち、職場でのインフォーマルな意見交換を促します。また、ケア分野が多様化しさまざまな専門家が配置される一方、個別に割り当てられるスペースは限られることから、ケアチームが集うことのできる「チームハブ」や「コラボレーションゾーン」、作戦会議のための「ハドルルーム」といった協同のための場所づくりは不可欠です。
設計を手がけたZGFはアメリカの大手建築事務所。ヘルスケア分野においては、医療現場の人材不足をめぐる諸問題に対するデザインソリューションを得意としています。施設全体の空間設計はこちらからご覧ください。
● University of Virginia Orthopedic Center Ivy Road / アメリカ(シャーロットヴィル)/ オープン年2022年開設 / 面積約18,023㎡
コワーキング&インキュベーター機能を備えた複合医療施設
ISLOサンテ / フランス |
「ワンヘルス」の考え方を業界のエコシステムへと拡大
ISLOサンテは、仏南西部を中心に展開中の複合医療施設コンセプト。その大きなミッションは「ワンヘルス」型のアプローチにあります。「ワンヘルス」とは、ヒトや動物の健康とそれを取り巻く環境の健康を包括的にとらえて課題解決に取り組むことですが、この考え方を医療提供のあり方や業界のエコシステムにまで拡大。
外科・内科等の一般的な専門科からパラメディカル、民間療法、動物病院まで、同じひとつの建物の中で分野横断的な医療サービスを提供します。加えて、地産地消レストランや、女性がん患者のためのショップ、近隣住民も利用できる託児所などが入り、専門家向けのアフターワークや文化イベントも実施。

さらに、医療・ヘルスケア分野のためのワーキング&インキュベーション空間「メッドスペース」を館内に別途整備することで、新規開業医をサポートするとともに、関係者間の出会いと業界の垣根を超えた交流を促進しています。
医療関係者同士のつながりの再構築
このコンセプトを立ち上げたのは、経験豊富な医療関係者たち。専門家同士のつながりの再構築、そして医療従事者と患者の信頼関係の強化を通じて、医療・ヘルスケアの中心に人間性を置き直すことを目指しています。とくに、「かかりつけ医」の登録が義務付けられているフランスでは、主な担い手である自由開業医(いわゆる町医者)にかかる負担が大きく、地価の上昇等も背景にその不足と地域偏在が問題となっています。彼らの職業生活を守りスタッフにとっても働きやすい診療所の整備が求められる中、地域に医師を呼び込むためには、ただ施設を建てるだけではなく「関係者同士のネットワークを支えて活性化させなければならない」という考えから、本プロジェクトが誕生しました。
2019年に創業し、すでにオープンしている2都市(ダクス、アングレス)の施設のほか、ポー近郊イドロンなど各地で設置計画が進行中。将来的には全国展開を見据えています。
医療・ヘルスケアの現在から未来までをトータルにサポート
そんなISLOサンテの中核ともいえるのが、冒頭で触れた「メッドスペース」です。このエリアには、オープンデスクやプライベートオフィス、会議室など一般的なコワーキングと同様のスペースに加えて、共有待合室付きのレンタル診療室「メッドワーキング」スペースを完備し、それぞれ1日~1か月単位での利用が可能。また、医療・ヘルスケア分野の未来に向けたインキュベーター機能として、さまざまなビジネスプロジェクトやイノベーションをサポートするオーダーメイドの支援プログラムも提供します。
コワーキングスペースの想定利用者は、医療・ヘルスケア分野で仕事をしたい起業家やフリーランサー、テレワーカーなど。彼らが医療従事者と直接コンタクトをとり、潜在的なニーズを見出せるような「機会創出の場」として設計されました。一方の「メッドワーキング」スペースは、初期費用をなるべく抑えたい新規開業医のニーズを考慮したもので、設備の整った空間を柔軟に、中短期的に貸し出せるようにしています。必要に応じた設備の増減が可能なほか、秘書業務や予約管理も有償で引き受けます。内部のデザインはこちらから確認できます。
この「メッドスペース」は、2024年に「ネオ・アキタン経済賞」(ヌーヴェル・アキテーヌ地域圏の優良企業を評価する賞)を受賞。各地のISLOサンテに順次整備していく計画で、今後は自治体の医療施設の運営受託サービスも予定しています。
● ISLO Santé / フランス(ダクスほか)/ オープン年2024年ダクス及びアングレスに開設、2026年イドロンに開設予定 / ISLOサンテ(ダクス)の面積4,300㎡、内「メッドスペース」の面積400㎡
Researcherʼs Comment
医療の担い手が不足している状況は、医療を提供する場である病院や診療所にとっても、公共サービスとしての医療に責任をもつ自治体にとっても解決すべき課題です。労働環境の改善は必須であり、厚生労働省では人材確保のための施策を打ち出すとともに、医療DXや医師の働き方改革を推進していますが、現場の最前線に立つ人々が簡単に対応できることではないということは想像に難くありません。
それでも、例えばボストン小児病院のように、病院スタッフが心置きなく使えるセルフケア空間を設置するという試みがあります。ただ専用のスペースを設けるだけでは実際のニーズや効果は掴めないものですが、利用状況をモニタリングし、積極的にフィードバックを得ることで、他施設の関係者からみても意義深い実践となっています。バージニア大学アイビーロード整形外科センターでは、総合的な空間デザインを通して、スタッフの働きやすさとエンゲージメントの向上を図っています。ケアチームのつながりを支えるようなワークステーションは、どんな医療施設においても求められるのではないでしょうか。また、業界の未来を考えるうえでは、ISLOサンテの分野横断的な姿勢が参考になるかもしれません。とくに施設内のコワーキング&インキュベーション空間は、これからの時代に活躍する人材の目には魅力的に映るでしょう。医療の現場に隣接していることからイノベーションも促進されそうです。
医療従事者の仕事環境を改善するためには、より現場のニーズにあったサービスや空間を生み出すことが必要不可欠であるようです。人材不足の問題を根本から解消するには国・地域レベルの取り組みが欠かせませんが、現場に寄り添ったアプローチを考えるとき、今回ご紹介した三つの事例は多くのヒントを与えてくれるのではないでしょうか。(丹青研究所 国際文化観光研究室)
この記事を書いた人

丹青研究所
丹青研究所は、日本唯一の文化空間の専門シンクタンクです。文化財の保存・活用に関わるコンサルや設計のリーディングカンパニーであるとともに、近年は文化観光について国内外の情報収集、研究を推進しています。多様な視点から社会交流空間を読み解き、より多くの人々に愛され、求められる空間づくりのサポートをさせていただいております。 丹青研究所の紹介サイトはこちら

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